「骨とDNA」
大寒の日が母の葬儀になりました。田舎の家ですから、町の祭壇を隣近所の手伝いが来て組み立て、百人分の飯を炊き、料理をこさえて、通夜を迎えました。ローソクの火やお線香を絶やさぬよう、棺の前で仮眠をとりました。当日は、風の強い冷たい曇リ空でしたが、伊吹や養老の白い峰がくっきりと見えました。
十五年前の父の時と同様に、祖母方のおじが棺を焼いてくれました。電電公社を定年退職して以来ずっと焼き場にいるのですから、焼かれた骨を見て、生前のその人物の健康状態や暮らしのありようを的確に見抜きます。足先の指から、ひざ、腕、あごや歯の跡までしっかりと白く横たわった母の骨を見て、ももちゃんはよう働いた、いい骨だとほめてもらいました。
「生命とは、動的平衡(dynamic equilibrium) にある流れである」という一節を、私は思い出していました。福岡伸一氏の『生物と無生物のあいだ』で語られたシェーンハイマーの発見した生命の動的な状態、「秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない」というDNAの動的な姿を思い浮かべ、生きている私の骨に、母や父の生命を感じました。
さまざまな組織や団体の趨勢を目にします。会社は人だ、人を育てると言いながら、骨組みばかりが残って身がともなわないところや、いつまで経っても骨格が整わず、働き手が落ち着かない会社。しかし、生きている組織には、生き続けるDNAの流れが、必ずあるはずです。
母の棺の中には、古希の頃に3年ほどかけて父と共にお遍路に出た、四国八十八札所の記帳の冊子を解いて、たくさんの花と一緒に皆で一枚一枚入れてあげました。神仏のご加護をいただきながら、あの世でも、元気に歩いてくれていることを祈ります。
平成20年 2月 立春の日に


