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KAIよりご挨拶

「雪の郷里で考えたこと」 

 

新年、明けましておめでとうございます。西暦でいうところの10年代の幕が開きました。年頭にあたり、一言ご挨拶申し上げます。

 

この年末年始を、郷里の岐阜(安八郡安八町)で過ごしました。大晦日の夕方、岐阜羽島駅に降り立った私を迎えてくれたのは、伊吹山から吹きつける強い風と、舞い落ちてくる無数の雪片でした。

元旦の朝は、一面の銀世界。すでに10数センチの積雪でした。ここまで積もる正月の雪は、もう何年ぶりのことでしょうか。午後になって少し小止みになったところで、長靴を履いて初詣でに出かけました。実家のある牧地区には、二百軒足らずの集落が川に沿って南北に長く伸びるその川上に神社があります。雪をかぶった狛犬のそばには、古いお札や榊を焼く焚き火が燃え盛っていて、火の当番が松や杉の折れ枝をくべてくれ、冷えた身体を温めました。近くのお寺さん(円長寺)にもお参りし、壁に貼られた年回表を見て、今年五十回忌を迎える祖父と三回忌となる母の法名をさがしました。何百と書き上げられた故人の命日の数は、そのまま、この土地で生まれ育ち、亡くなった方々の数です。最後に、雪に埋もれたご先祖の墓にも参り、新年最初の務めを果たしました。

伊富神社、円長寺の写真

 

家に戻り、こたつに入ってたまっていた新聞を読み始めました。12月31日付の日経には、前日に発表された鳩山政権の経済成長戦略の基本方針が取り上げられ、すなわち2020年までに環境、健康、観光の3分野で100兆円を超す新たな需要を掘り起こし、年平均で名目3%を上回る経済成長を目指す、というものに対し、具体的な政策についての説明がなく、経済成長の主役が企業であるという視点がない、と厳しい内容です。

モノが売れない、売れないから安さを競うという未曾有のデフレ下、海外新興国がどしどしと市場に進出し、輸出製造業には通貨の圧力が高まるという日本経済が置かれた厳しい状況については改めて申し上げるまでもありませんが、中長期的に見れば、人口減、少子高齢化、財政の逼迫、台頭する海外企業との競争激化、グローバル化による地域の雇用の悪化、産業空洞化と、数え上げればさらに不安の種は尽きません。

 

こたつの中でうとうとしながら、お寺さんで見た年回表の法名の数々を思い出していました。「門名院釋唯然」となった祖父林作は、昭和36年6月に亡くなりました。火葬場に向かう人々の列が、降り続いた雨で水没してしまった道を進むのを、私はだれかの肩に担ぎ上げられて見ていました。祖父は、伊勢湾に注ぐ揖斐・長良の流域で漁もしていたので、最後まで水辺から離れたくないのではと誰かが言い、楽しげな話し声や笑い声が響きます。お弔いは、地域の共同作業でした。飾り台や宴席の卓袱台を共同で使いまわし、人手を出して、互いの面倒を互いが支えあうやり方で、苦労をしのいできたのでしょう。しかしながら昨年、この町にも、メモリアルホールができました。住宅事情も変わり、昔ながらの共同作業も難しくなってきています。

 

安八町は、昭和35年(1960年)に町制が敷かれました。以来50年が経ち、典型的な農業の町は、人口が倍増し(15,295人)、その産業構造も大きく変わりました。農業人口(369人)は全体の5%に満たず、製造業(3,090人)、サービス業(1,453人)、卸売・小売・飲食店(1,426人)で働く人が大半という次第です。企業を誘致し(三洋電機、帝人、グリコ、住友化学など)、温泉を掘り(安八温泉)、水処理場の敷地を利用して観光誘致の梅園をひらく(百梅園)など、この町を、ここに住む人の暮らしを支える場所とするために、いろいろな努力が重ねられました。(数字は、ウイキペディアのデータから引用)

 

地方の小さな町の例を長々と引きましたが、この先の世界の、特に中国やインドなどアジア各国の産業構造の変化は、さらにすさまじいスピードで、より激しい展開を広げていくに違いありません。安八町の50年の変化が、何分の一かに圧縮されて、人々を揺り動かしていくことになります。その時に、そこの豊かな自然や、住民の方々をつなぎとめそれを支えてきたさまざまな仕組みが、壊され崩れていってしまうことに心配を覚えないではいられません。少年時代の夏の水辺には、いつもホタルが飛び交っていましたが、70年代にはほとんど見ることがなくなってしまいました。その反省から、10年ほど前に、蛍の里と名付けた小公園が近所に作られたのですが、グローバル時代の本当の知恵は、こうしたたくさんの日本の反省を、きちんと伝え、その地の発展の正しい道しるべとして役立ててもらうことにあるのではないかと、おめでたい正月の雪を見て考えた次第です。

延命地蔵、富士川から望む夕映えの富士の写真

 

今年一年の皆さまのご健康とご発展をお祈りするとともに、よろしくお引き立てのほどお願い申し上げます。

(写真は、元旦の伊富神社、円長寺、延命地蔵。手を合わせるこうした場所がいくつもあるのに、改めて驚きました。富士川から望む夕映えの富士は、帰路の新幹線から1月2日に撮りました。)

 

平成22年 1月 吉日

KAIセミナーサポートセンター 渡辺範夫

【 略歴 】
昭和29年(1954年)4月1日、岐阜県生まれ。大学の仏文科を出て、今村昌平監督のつくった横浜の映画学校に通った。テレビの脚本書きでは食べて行けず、1981年バイト先の塾の海外展開に参加して香港に行ったのが転機となった。帰国子女教育の世界に本格的に関わり、香港の3年間のあと、ニューヨークに1年、その後も教師として、また教育相談員として、日本企業の進出する海外現地を訪ね歩いた。やがて、帰国生の親代わりとして生活と学習の面倒をみる寮の運営に携わる。海外の学生や教師を招聘し、日本の学校の授業体験を通して交流をはかる事業や、企業のさまざまな研修の受け入れもこの施設で行なわれ、今日の研修事業の礎となる経験を積んだ。2005年3月企業の人材育成活動を総合的に支援する有限会社櫂を設立。

国際交流事業として、日本語を学ぶ海外14カ国の高校生による「海外高校生による日本語スピーチコンテスト(JSA)」の運営責任者を務めている。

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